2010連合奈良国際女性デー街頭行動!

日時:2010年3月5日(金)17:30~
場所:近鉄奈良駅前
内容:
バラ

3月8日は、国際女性デーとして世界中の働く女性たちが、集会や街頭行動などを行いながら、「パンとバラ」をシンボルとして、自分たちの賃金や労働条件の向上と女性の尊厳(地位向上)をめざした取り組みをすすめています。(3月8日は女性だけが休日となっている国もあるようです)

パン

連合では春季生活闘争の一環として、「男女とパートの均等待遇、同一価値労働・同一賃金の実現!」をテーマに全国統一行動を展開します。連合奈良では、3月5日の2010春季生活闘争総決起集会前段で実施し、アピールを行いました。

働く女性のみなさん、3月8日は私たち女性にとって意義ある大切な日ということを忘れないで下さい。・・・連合奈良女性委員会一同

 

国際女性デーが生まれるまでの経緯

 1857年3月8日、米国のニューヨーク市で被服工場や繊維工場で働いていた女性たちが抗議行動を起こしました。彼女たちは非人間的な労働条件と低賃金に対して抗議の声を上げたのです。警察は抗議者たちを襲撃しましたが、2年後の3月、彼女たちは初めて労働組合を結成して自らを守り、職場における基本的権利を獲得することに努めました。

 1908年3月8日、15,000人の女性が労働時間の短縮、賃上げ、選挙権、児童労働の廃止を訴えて「パンとバラ」のスローガンを掲げ、ニューヨーク市内をデモ行進しました。パン(アジアの主食は米)は賃金や労働条件などの経済的安定、バラは女性の尊厳として生活の質の向上を示しています。

 1910年コペンハーゲンで開催された「第2回国際会議婦人会議」で、ドイツのクララ・ゼトキンが、国際女性デーを「米国の被服労働者のストライキを記念する日を国際的な性格をもつ女性デーとして、世界の女性たちが一致して毎年、男女平等と平和のための行動をおこすこと」提起し、17カ国から参加していた100人を上回る女性たちの満場一致の承認を得て採択されました。そして「国際婦人デー」は、選挙権を含む女性の権利のための運動の栄誉を称える日として確立されたのです。

 日本では、1923年(大正12年)3月8日、東京神田のキリスト教青年会館で初めて集会が開かれました。しかし、当時の厳しい弾圧と戦争によって途絶えていた集会は、1947年(昭和22年)から再開されて今日に至っています。

 

1+1=女性の力

ICFTUマーク 「1+1=女性の力」とは、ICFTU-APRO(国際自由労連アジア太平洋地域組織)の労働組合への女性参画スローガンで、一人の女性がもう一人の女性を労働組合活動へ勧誘、さらに一人の女性執行委員がもう一人の女性執行委員を育てて女性の意見を労働組合に反映させ、要求を実現していこうという意味。

 

連合奈良女性委員会によるアピールの様子。

 

この日は、歯ブラシや障がい者授産商品などを配布しました。

労働相談ホットライン フリーダイヤル:0120-154-052


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