連合奈良政策委員会「東日本大震災復興視察」報告

日 時 : 2013年10月 25日(金)~27日(日)

場 所 : 岩手県 沿岸部(宮古市、大船渡市、釜石市、陸前高田市)

参 加 : 連合奈良政策委員会メンバー他19名

協 力 : 連合岩手、連合岩手北地域協議会、宮古観光協会「学ぶ防災ガイド事務所」、陸前高田市観光協会

視察地 : 岩手県宮古市田老町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市

 

    

 連合奈良は、東日本大震災から2年7ヶ月が経過し、現在の被災地復興状況を把握し、今後の復興支援、防災、減災について考えるため東日本大震災被災地協復興視察を行った。

 

 

 

 

 内容(1日目)

 

 スーパー防潮堤は、巨大津波になすすべがなかった。今後の津波対策はどう考えればよいのか!

  田老は「津波太郎(田老)」の異名を付けられるほど古くから津波被害が多く、江戸時代初期の1611年に起きた慶長三陸地震津波で村がほとんど全滅したとの記録がある。1896年(明治29年)の明治三陸津波では、県の記録によると田老村(当時)の345戸が一軒残らず流され、人口2248人中83%に当たる1867人が死亡したとある。

 1933年(昭和8年)の昭和三陸津波による田老村の被害は、559戸中500戸が流失し、死亡・行方不明者数は人口2773人中911人(32%)、一家全滅66戸と、またしても三陸沿岸の村々の中で死者数、死亡率ともに最悪であった。町は1934年(昭和9年)防潮堤建設に着工し、24年を経て1958年(昭和33年)に完成。海面から高さ10.45m、総延長1350mの「万里の長城」と呼ばれる巨大なスーパー防潮堤を作り、2003年3月、「津波防災の町宣言」を発表。宣言には、近代的な設備におごることなく、文明とともに移り変わる災害への対処と地域防災力の向上に努め積み重ねた英知を次の世代へと手渡していきます」とある。まさに津波は、近代的な設備を破壊し、乗り越え一瞬にして町を飲み込んだ。(写真:宮古観光協会 学ぶ防災ガイド事務所の元田ガイドからスーパー防潮堤の上で説明を受ける参加者)スーパー防潮堤は、津波を防げなかった。津波を弱め避難時間をかせぐ事が出来たのか?個人的な見解だが自然の驚異が人間の想定をはるかに越え、なすすべがなかったのでないか。

 目撃者の証言では、津波は防潮堤の倍の高さがあったと言われている・・・・・

 写真右は、田老観光ホテル。当時3階部分まで津波が押し寄せオーナーは、6階へ避難し懸命に津波の恐怖と闘いながら記録ビデオを撮影した。今回、貴重な撮影記録も見せて頂いた。

「津波てんでんこ」

一方、三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」は、効果を発揮し、多くの住民が無事に避難し九死に一生をえた。津波から身を守る方法として度々津波に襲われた悲しい歴史から生まれた三陸地方に伝わる言葉だ。「津波の時は、親子であっても構うな!一人一人がてんでばらばらになっても早く高台へ行け」という意味をもつ。

 「スーパー防潮堤」と「津波てんでんこ」対照的である。今回、スーパー防潮堤があったこと、停電により3mという津波予想の情報しか伝わらなかったことなど避難を躊躇させたのではないか・・・・

 

視察団一行は、宮古から大槌町へ。大槌町は、地震と津波が引き起こした火災により、壊滅的な被害を受けた。震災時、町長はじめ町職員幹部ら60名程度が災害対策本部を立ち上げるべく町庁舎2階に参集していたが津波に襲われ、のみ込まれて町長をはじめとする多くの職員が全員行方不明となった。行政機能が麻痺し被害状況の全容が外部に伝わらず周囲から孤立する状況となったところである。台風27号の影響による強い雨と風の中、バス車内からの視察となったのは残念であった。海岸線の至る所に防潮堤と思われる破壊されたコンクリート塊が散見され、当時のガレキだけが片付けられたように見える町は復興とはほど遠い・・・・

 

 

 

 

 

 

 

その後、釜石市を訪れた。釜石市は、陸前高田市・大船渡市と同様に岩手県の三陸沿岸に位置する地方都市である。今から150年以上前の江戸時代末期、日本で最初の洋式高炉による近代製鉄発祥の地。一行は、現地の視察を終えた後、新日鉄住金釜石労働組合 三浦組合長から資料に添って「東日本大震災における新日鉄住金釜石労使の取り組み」について 大変貴重で参考になる説明を聞いた。

 

ギネスに載った湾口防波堤

 1978年国の直轄事業で建設に着手した釜石湾の湾口防波堤。2009年3月に総工費1200億円を投じて完成。最大水深63mの海底からケーソン工法で立ち上げたもので2010年に世界最大水深の防波堤としてギネスブックに認定されている。東日本大震災の津波で破壊され、防波堤は半分程度しか水面にとどまっていない。しかしある研究所は、浸水を6分遅らせ、津波の高さを13mから7~9mに低減させたという試算をしているとのこと。他の被災地と比べれば、町並みの面影が残るなど被害を一定程度抑えられたと評価する一方で、防災には限界もあるとの意見がある。

 

内容(2日目)

奇跡の車両 三陸鉄道南リアス線

視察団一行は、釜石を後にして、大船渡市へ入った。大船渡市では、東日本大震災で被害を受け2年以上にわたって不通状態が続いていた三陸鉄道南リアス線に乗車し、吉浜 - 盛 間を移動しながら、沿岸部また線路の沿線の被害状況を視察した。吉浜-盛は、2013年4月3日に運転再開。北リアス線ととも2014年春の全線開通を目指している。南リアス線では、地震発生当時運行中だった車両が吉浜~唐丹間のトンネルで停車し、乗客乗員は津波の難を逃れたそうである。トンネル周辺では橋梁が流され甚大な被害が出ており、まさに紙一重。三陸鉄道では、車両三台が津波で使用不能となったものの、その後の支援(クゥエートから)で新車両を導入。被災を免れた車両は「復興のシンボル」となっているとのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 NHKの朝の連ドラ「あまちゃん」で人気の出た三鉄の可愛い一両の車両

車体横には、クゥェートから支援があって購入できたとの文字がありました。

 

 

 

 

 

こちらも復興のシンボル! 大船渡復興商店街

東日本大震災の津波で壊滅状態となった大船渡市大船渡町。かつては、商店や住宅が建ち並ぶ中心街だった。現在も津波の傷跡が生々しく残っており、解体中の建物も多いが、沿岸には立派なホテルも屹立している。草が生い茂る箇所もあるが、ポツポツとプレハブ店舗も散見される。大船渡に限らないが視察で訪れた三陸の商業地は依然として仮設店舗がほとんど。大船渡は、宮古と並んでサンマも有名。また全国でも東北土産の代表的銘菓「かもめの玉子」も大船渡発祥、

さいとう製菓株式会社である。

さて、2011年12月23日にオープンした仮設商店街。隣接する屋台村とともに大船渡復興のシンボルとなっている。一行も、バスから下車し数店に入店し被災地支援を目的に商品を購入した。

 

奇跡の一本松 陸前高田市 一瞬で消滅した町 一行、言葉を失う!

 

一行は、大船渡を後にして陸前高田市へ入った。上記の写真は、陸前高田市にあった津波で被災を受ける前の「名勝 高田松原」。約350年前から先人たちが植林をし守り育ててきた7万本もの松林と美しい砂浜。夏は海水浴を楽しむ多くの家族連れで賑わっていたそうです。

 

写真左上は、津波直後。三陸では珍しく恵まれた広い平野に、行政施設、商業施設、住宅、学校、加工工場、鉄道、などが密集した陸前高田市に、20mを超す巨大津波が高田松原を根本からなぎ倒し、一瞬で町を飲み込み破壊した。写真右上は、視察当日。大型ホームセンターの2/3まで波の後が残っていた。

 

 

陸前高田市観光ガイド 河野さん(写真左)は、我々のために、雨の中、現地を案内して写真を見せながら被災前、被災後の陸前高田市の様子、復興に向けた動きと課題について、大変丁寧に説明された。

東日本大震災の地震と津波で、死者・行方不明者2000名を出した陸前高田市。約7万本あった高田松原で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」津波に耐えて奇跡的に残った一本松でしたが、海水により深刻なダメージを受け2012年5月に枯死が確認されました。震災直後から市民のみならず全世界の人々に復興のシンボルと親しまれた一本松を今後も後世に受け継ぐため奇跡の一本松保存プロジェクトがすすめられ、視察当日はレプリカになった奇跡の一本松を確認し写真に収めた。

河野さんはこう言います。復興にも様々な考えがあります。ここにも頑丈な防潮堤の建設を国、県が住民に提案しています。約80cmも地盤沈下して海中に沈んでいる美しい海岸も防潮堤建設のため埋め立てるという。巨費を投じて、環境破壊しながら建設する防潮堤は、果たして必要なのかどうか?議論がまとまっていないのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸前高田市内に今後も保存するというビル。オーナーは被災当日、ビルの4F屋上の避雷針につかまり一命をとりとめた。屋上には、この高さまで波の高さがあったことを看板を立てて残しているそうです。もうこの地域に建物を建ててはいけないとのことで、このままの状態でビルを残しても問題ないようです。

視察全体を通じて・・・・

さまざまな声を直接聞き、五感で感じた被災地の現状。復興とは?どんな支援が必要?

私たちに出来ること、防災のあり方、参加者それぞれが感じたものがありました。

今後の復興に関して連合奈良として活動に反映していきます。

 

 私にとって3月11日だけが特別な日ではない。毎月11日が特別な日だから・・・

2年の仮設住宅が3年、4年に延長されても仮設は仮設・・・

高台へ建設される復興住宅はあと何年待てばいいの・・・・

巨費を投じて建造する防潮堤でも絶対、津波を止められるなんて思えない・・・・

町を離れたくないが仕事がない・・・・

「津波てんでんこ」先人の教えは命を守った・・・

ガレキは今年度中に片付くが復興が進まないのは人手が足らない・・・

特別良いこともいらない、普通の暮らしを取り戻したい・・・

沿岸に残る破壊されたコンクリートの塊・・・・

顕在化する心的ストレス、癒えないキズ・・・・

雑草が生い茂る荒涼とした土地にもかつて家があった・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

労働相談ホットライン フリーダイヤル:0120-154-052


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