連合平和行動 in 沖縄に参加 : 連合奈良

連合では毎年、沖縄~広島~長崎~根室で平和行動を展開しています。今回、沖縄県の本土復帰40周年の記念すべき年であり、6月23日の「慰霊の日」に合わせて開催された沖縄での平和行動(6月23日~25日)に参加しましたので、以下の通り報告します。

   


【1日目】


 

* 沖縄到着、早くも実情を目の当たりに


 

現地入りした23日の「慰霊の日」当日は梅雨明けと重なり、平和行動の参加者を快く受け入れるかのような良い天候に恵まれました。そんな中、空港に着陸すると同時に滑走路の脇には迷彩色の輸送機が目に入り、私たちの知る空港のイメージとは異なった景色は、早くも基地問題に揺れる沖縄の実状の一端を感じることになりました。


 

 


 

 2012平和オキナワ集会【第1部】  6月23日(土)15:00~16:00、那覇市民会館 


 

* 平和を“叶える”ためには、現実を正しく理解する努力が必要


 

 2部構成となる平和集会の第1部では、日本の防衛政策や安全保障を専門にする道下(みちした)(なる)(しげ)氏の基調講演が行われました。「変わりゆくアジア情勢と日本の対応」と銘打った講演は、北朝鮮や中国の情勢などに触れながら、日本として防衛政策や安全保障をどう進めていくのか、などについて語りました。
道下氏は、「平和を“願う”だけではなく、自分たちで平和を“叶える”ためには安全保障や防衛政策を知ることも必要だ」と話し、「今の防衛政策や安全保障は二極の議論が対立し、合理的な議論が難しく感情的な議論になりがちだ。何がリスクで何がチャンスなのかを判断する努力が必要だ」などと訴えました。
 
 2012平和オキナワ集会【第2部】  6月23日(土)16:10~17:00、那覇市民会館 


 

* 行動を通じて感じたことを、地域や職場の仲間に伝えて欲しい
第2部の平和式典では、会場全員での黙とうからスタートしました。


 

冒頭、古賀伸明連合会長の主催者あいさつでは、「今年の集会では、沖縄県民が抱える問題をはじめ、日本における米軍基地問題、さらには日本の安全保障について、改めて国民的課題として連合全体で認識を共有化し、運動の強化を図る重要な機会にしたい」と話し、加えて「行動を通じて感じたことを地域や職場の仲間に伝えて欲しい。そして平和の尊さを受け継いで欲しい」と訴えました。


 

また、仲村信正連合沖縄会長をはじめ、来賓からも「過度な基地負担を強いられている沖縄の実態を知って欲しい」など、強い思いを語りました。


 

そのあと、仲村信正連合沖縄会長から伊丹連合広島会長へピースフラッグが引き継がれ、「(前略)…、沖縄戦の実相と悲惨さ、平和の尊さを学び、米軍基地問題の解消をめざし、基地の整理縮小と日米地位協定の抜本的見直しを求めて、粘り強く平和運動を推進することをここに誓い合い、アピールとします。」とする平和アピールとともに閉会しました。


 

なお、集会には24組織619人、47地方連合798人、総勢1417人が参加しました。


 

 


 

 2012平和オキナワ集会【第2部】  6月23日(土)18:30~20:00、ホテル日航那覇 


 

* 琉球舞踊などの沖縄文化を満喫しながらの交流会


 

会場を変えて実施された平和交流会では多くの県外参加者が出席しました。会場では、琉球舞踊や三線の軽快な音に乗せた沖縄民謡を楽しみながら沖縄料理を堪能し、終始和やかな雰囲気の中で各自交流を深めました。 

【2日目】


 

 ピース・フィールドワーク  6月24日(日)9:00~17:00、基地コース(米軍基地の視察) 


 

* 沖縄基地問題の解決・平和への思いを参加者全員で共有


 

○9:00 出発(沖縄バス観光部案内所)


 

平和行動2日目のピース・フィールドワークでは絶好の晴天に恵まれました。
参加者は那覇市から北の米軍基地を中心に回る「基地コース」と、南の戦跡を中心に回る「戦跡コース」とに分かれ、連合奈良一団は「基地コース」に参加しました。一向は、バスに乗りこみ沖縄本島を北上し名護市へと向かいました。また、当日は連合沖縄青年委員会のメンバーがガイドを務め、沖縄県民のありのままの思いを語りました。


 

○10:30 辺野古「普天間基地移設予定地」(名護市)着

辺野古にはもともと「キャンプ・シュワブ」という米軍基地(訓練施設)が存在しています。普天間基地の返還に伴う代替海上施設がキャンプ・シュワブ水域に決定され、サンゴが群生しジュゴン(国際保護獣)などの生物が棲む、自然豊かな辺野古の海が破壊されてしまう危険があります。建設予定地への侵入を阻むフェンスには、沖縄基地問題に対するメッセージが書かれた幕がいくつも掲げられており、ガイドからも「県民だけでなく、国民全体の思いを政府が重く受け止めて欲しい」と訴えました。

 

              

 

○12:00 「道の駅かでな」(嘉手納町)着
 「道の駅かでな」展望台から見渡せる嘉手納基地は3,700mの滑走路を2本持つ、極東最大の軍事基地です。写真に写っているのは航空機の格納庫が建ち並んでいる様子です。当日は休日でしたが、航空機のエンジン音が聞こえました。休日に感じるこの騒音が平日なら…と想像すると、周辺で生活しておられる住民の方々の苦しみは凄まじいものだと感じました。

              
 

 ○12:45 チビチリガマ(読谷村(よみたんそん))着
  沖縄戦の米軍上陸地点(渡具知海岸)から約1kmのところにある避難壕。周辺住民141名が避難していたが米軍上陸後、早々に包囲され、「集団自決」によって85名が亡くなりました。洞窟の入口には、修学旅行生の平和への願いを込めた千羽鶴やメッセージが飾られていました。現在も遺骨が洞窟内に多数残っており、遺族の方々の願いもあって洞窟内には入ることはできません。入口の横には「平和の像」があり、亡くなった人々の無念と平和への願いを表していました。
「皆さんがそれぞれ自分の家族を自らの手で殺さなければならない。その状況を想像して、戦争というものを改めて考えて欲しい」というガイドの方の言葉を聞いて、平和の尊さについて改めて考えさせられました。

○14:20 ()()()海岸(読谷村)着
沖縄戦の米軍上陸の地であり、悲劇の始まりの地。上陸時は連合軍の艦船約1,500隻が湾を埋め尽くしたが、現在ではビーチとして整備されレストランなどの施設もあって、地元の人が訪れる憩いの場となっています。上陸作戦では、海岸線に艦砲射撃による無数の砲弾が撃ち込まれ「鉄の暴風」と表現されました。今でも不発弾が発見(沖縄本島全体の問題ですが)され、周辺住民の生活に影響を与えることがあります。また、高台には「米軍上陸の地」碑があり、反戦への祈念が刻まれています。

                    
 

 ○15:40 嘉数(かかず)高台公園(宜野湾市)着
公園の高台から、宜野湾市中心部にある普天間基地(飛行場)を見渡すことができました。そして、見渡したその瞬間に、「世界で最も危険な基地」と言われる所以が分かりました。市街地の真ん中にある基地は異様としかいいようがなく、騒音の発生・航空機墜落の危険性などまさに基地問題の象徴であると実感しました。現在、オスプレイの配備問題が報道で多数取り上げられています。これまでも危険であったこの基地に安全性が疑問視される機体を配備することがとても危険だと感じるのは、この光景を実際に見たからこそであり、日本政府には地元の理解を十分得たうえで慎重な判断を下してくれることを強く願います
                

 
* 平和行動を通じて…
   現実問題に揺れるその場所に立ち、自ら目にしたからこそ伝わることがありました。そして、感じることがありました。その場所での歴史や日々の営みを送っている地元の人たちが置かれている状況を少なからず自分のことのように感じることができた今回の経験は非常に貴重なものとなりました。
この沖縄は、県外から多数の観光客が押し寄せるたいへん人気の場所です。一方で沖縄は今も戦争当時の記憶を残し現在に至る基地問題などを含め、影を落とす一面を垣間見せます。沖縄に訪れた際には、楽しい時間のうちのわずかな時間で構いません。そういった一面を自らの目で見て感じたことを多くの人たちに受け継いで欲しいと強く願います。【田中】

「米軍基地の整理・縮小及び日米地位協定の抜本的見直し」という課題を、改めて考えさせられるよい機会となりました。極東の安全保障の観点から沖縄に基地が存在することは、大変重要だという考え方を全否定はできません。しかし、今回実際に基地を見てきた中で、沖縄の人々が常に騒音に悩まされ、事故への不安を感じていることを知って、現状がベストの状態であることは絶対にないと認識しました。沖縄の人々が願う本当の「平和」のために、これからもできうる限りの行動を続けていこうと決意しました。【金子】

労働相談ホットライン フリーダイヤル:0120-154-052


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